渡邉一文
株式会社 和 取締役
渡邉一文(わたなべ かずふみ)
PROFILE

1954年生まれ。屋久島永田出身。大阪商業大学卒業後、77年に子供服サロン「すえひろ」へ入社。99年7月に同社を退社後、同年9月に株式会社 和を設立。2000年から約2年間、大阪と上海(中国)を行き来しながら国際ビジネスを学び、現在は大手有名メーカーへのOEMほか、大阪・奈良・三重で子供服ショップ(10店舗)経営を展開。07年夏、自社子供服ブランド「mimisatokiki」「MISATOMIKI」「Burano Ten」を同時に発表。同3ブランドの収益の10%は財団法人屋久島環境文化財団に寄与される。故郷、屋久島の自然保全活動を通じ、自然環境の大切さを子どもたちはもとより大人たちに対しても訴えている。

故郷への果てぬ想い

「『mimisatokiki(ミミサトキキ)』は、美しい樹々が里(故郷)を取り囲んでいる様子を、『MISATOMIKI(ミサトミキ)』は読んで字のごとく美しい里の美しい樹という意味をこめて名づけました」と、その野性味ある風貌とは似つかわしくない言葉が男性の口から出た。株式会社 和の取締役を務める渡邉一文さんは、今回発表する子供服ブランドのプロデュースからデザイン、広報活動までを取り仕切るキーバーソンだ。「mimisatokiki」「MISATOMIKI」の二つのブランドの名称は、愛娘である「みき(長女)」さんと「美里(次女)」さんの名前をモチーフにしている。

人生でいちばん多感な13歳の春、渡邉さんは父親の仕事の関係で住み慣れた故郷の屋久島から大阪に引越しを余儀なくされた。「文化も違うし言葉も違う。友達がなかなかできず、屋久島のことばかり考えて一日を過ごしていました」。夏休み、冬休み、学校の長期休暇の際には迷わず屋久島に帰り、休みのあいだ中、島に居ついたという。中学、高校、大学と渡邉少年は大阪という大都会に身を置きながら、屋久島の大自然にも触れられる環境のなかで人格を形成していった。

大学卒業後、大阪の子供服販売会社に就職し、20年間のサラリーマン生活の後、子供服の小売り・卸売りをする株式会社 和を設立。サラリーマン時代には多忙を極め、冠婚葬祭を除いて屋久島に帰ることはなかったが、会社経営が軌道に乗ったここ数年、頻繁に帰郷し、大自然と戯れることを何よりの楽しみにしている。

「世界遺産登録で注目されて多くの人々が島を訪れるのは非常にうれしいことですが、その反面、帰るたびに屋久島の自然が少しずつ消えてゆくという現実を目の当たりにすると、居ても立っても居られない心境に駆られます」。

渡邉さんは、予てから各店舗に屋久島の環境保全の募金箱を設置していたが、さらに力を入れようと“環境保全に役立つ子供服”をテーマにした、今回のブランドを立ち上げた。ブランド収益の10%が屋久島の自然を守り、自然と共生する新しい地域づくりの各種事業を実施している「屋久島環境文化財団」に寄与される。

「欲張りかもしれませんが、今の観光客を維持しながら、私が島の住人だったころの自然環境に戻すことができたらサイコーですね」と希望は膨らむ。

ブランド名のモチーフとなった二人の愛娘「みき」さんと「美里」さん。それぞれの名前は、渡邉さんの故郷への果てぬ想いが起源になっている。

(取材/2007年7月 文/山都建)